1971-'72 Goodwill Begins with You
地区ガバナー 
野崎 貫一
President ROTARY INTERNATIONAL Ernst G. Breitholtz


 “善意は先ずあなたから”
 ブライトホルツRI会長は、このメッセージを次のように解説しています。
「私共の考え方や意見の点で一様ではない。皆別々の目で世界を見ており、それぞれに映る世界は多様である。或る地域で最高の重要事項と考えられる事柄が、他の地域ではさほど重要でないかも知れない。従って今日私共が直面しているあらゆる重要問題を挙げて、これに対する万能薬を提供するとか、或は特定の問題の解決に手を携えて努力しようと提案することは出来ない。……然しこの世界の悲しむべき現状と、私共の「超我の奉仕」を必要としている事実に直面するとき、私が自分が如何に微力であるかを痛感します。しかし幸いにも、私は孤独ではありません。われわれロータリアンの仲間がおり、実践面において現実的であると共に奉仕の理想を堅持し、奉仕活動をしております。……あなたのクラブは、他に類のないものであり、会員制度、職業分類、地方的事情、文化的背景、地理的環境などの条件によって、他のクラブと全く異なった奉仕活動となるでしょう。……この旗印に、「善意」という言葉を当てて、その行動方針としたいと思う。どうか本年度を善意の年――各人が身をもって善意を行動に移す方法を見つける年――にしてほしいと思う。」

 年間の基本方針
 ブライトホルツRI会長のテーマに照らして、
  善意を世界のあらゆる人に示そう
  善意をあまねく世の中に行き渡らせよう
  そして世界をとり囲もう
という行動方針をもって、具体的な年間活動に専心したいと思う。

 年間の重点事項
  (1)会員増強について
   イ)先ず隗より始めよ
     ガバナー就任早々、ホストクラブの大津RCに、その地域限界を三分し、2つのアデショナル・クラブと、県内初めてのロータアクト・クラブの創設を要請した。幸いにクラブ会員諸君のご協力により、大津東、大津西の両RCの創立が実現した上、大津ロータアクト・クラブが誕生した。
   ロ)自称「百姓ガバナー」の視点から
    当地区内では、京都及びその周辺、奈良市、大津市、福井市を除くと、程度の差こそあれ、所謂多眼的都市とも言うべき、その背後地の農村、或るいは遊離した小経済圏をもつ農林小都市です。これらの都市はその区域の商工業者または専門職業人を対象として、会員拡大を図ったきらいがあり、その背後地よりの新会員拡大を図るべきではないかと、その都度公式訪問の際強調した。このことは、「クラブ区域限界に農業地域を含めることに関する」1964-'65年度のRI理事会の決議事項(手続要覧1970年10月版)を修正した1972年1月のRI理事会の[ロータリークラブの区域限界に関する方針]決定は、私の考え方を更に拡大緩和したように思う。
  (2)クラブ運営について‐地域の特性を生かせ
   現在のクラブは都会の実業人の感覚をもった画一的に規約化された運営の仕方を時代と共に変化すべきであり、基本的ルールはあくまで厳守すべきであることは勿論ですが、それぞれ異なった地域社会の情勢に即応し、弾力性ある奉仕の仕方、運営のあり方に留意すべきだと思い、公式訪問の際にそれぞれクラブに特色をもつべきだと訴えた。
  (3)地区職業奉仕週間の設定について
   当地区として始めての、職業奉仕週間を設けることとし、12月12日-18日を当てた。本年度は「職業奉仕の勘どころ」(増版)と「フォア・ウエイ・テストは前進する」(重版、366地区発行)を各会員に配付。
  (4)ローターアクト並にインターアクトの両クラブの独立地区形成について
   大津ロータアクト・クラブ(3月23日創立)
   智弁学園高校インターアクト・クラブ(5月27日創立)
の設立により地区内でそれぞれ5クラブになった結果、独立地区となり、地区代表を選出することが可能となった。
  (5)環境問題について
   近時の公害問題、環境の整備と美化、自然の保護と保存などは、政府や地方自治体の政策もさることながら、地域社会の住民一人一人の理解を得なければ完遂しえない問題であり、この意味からも職業奉仕や社会奉仕の対象として好個なものである。当地区内には、日本最高最多の文化財多く日毎に破壊される現状に対しても同様である。
  (6)世界社会奉仕について
   イ)第375地区李ガバナーの要望で、前年度に引続き、韓国ソウル市の延世大学図書館内のロータリー文庫へ政治経済を中心とし、先方の希望図書リストから選定し贈呈した。(58万円)
   ロ)東インド非難民に対し、第325地区からの緊急救済資金の要請に応じ送金した。(30万円)
  (7)ロータリー財団寄付について
   前年度のロータリー財団地区300%達成に引続き、更に本年度は地区400%を達成した。

 絹川ガバナーと「シェルター委員会」について
 1970年東パキスタン風水害の被害に対し、日本ロータリー全地区(17)より1971年1月に義援金を募集し、28,362,320円(当地区は1,482,427円)に達した。この使途方法について、当時のRI世界社会奉仕委員会の副委員長であった斎木亀治郎パストガバナー(姫路368地区)に現地調査をお願いした結果、現地にシェルター(避難所)を建設することになり、委員会が創設された。これが所謂「シェルター委員会」である。斎木氏を特別委員とし、委員長は当時の絹川ガバナーが当たり、同期の井関久楠(和歌山366地区)、中川昌一(高松367地区)、高山忠雄(神戸東368地区)の各ガバナーを委員として、5名で構成された。第1回の会合は1971年4月神戸で開催され、討議は本年度及び次年度までにわたり、1973年4月の第8回会合まで続いた。その結果、
   イ)鉄骨プレハブ 4棟
   ロ)請負人  三菱商事
   ハ)建設工事は現地RCが担当
   ニ)現地へ指導者3名を派遣  
等の内容が紆余曲折を経て決定された。その間、現地の雨期、内乱、インドとの交戦状態、対パキスタン政府との交渉などによって、度々種々の作業が中断されて困難を極めた。
 ようやく1973年6月18日、現地のダッカRCに対する贈呈式や現地でのレセプションを開催することができて、斎木、中川両パスト・ガバナーの出席の下に完結する運びになった。
 この間の絹川ガバナーは、2年半余の長きにわたり委員長を務め、建築請負見積の検討、工事請負人の選定、請負契約の締結など、委員長一任ということなどで、ご苦労された模様と推察する次第である。
 絹川ガバナーの長期に亘る、徹底した奉仕活動と強い責任感に対して深甚なる敬意を表して、ここに銘記しておく次第である。

  RI事務総長の交替について
 過去19年の長期に亘ってRI事務総長の要職を務められた、ジョージ・R・ミーンズ氏は1972年1月31日をもって任期満了なりました。同氏は1949年(昭和24年)当時のアンガス・S・ミッチェルRI会長(豪州)と共に、日本ロータリーが、RIに復帰するために鋭意努力して戴いた方です。2月に就任する後任第4代事務総長は、副事務総長のハリー・A・スチュワート氏で事務局35年のベテランです。

  一年を顧みて
 私は公式訪問の際には、自称「百姓ガバナー」で通して来ました。クラブの皆さんも、さぞ驚かれたことでしょう。
 私はこの地区は全国最もシャープな水問題関連地帯であると信じています。奇麗な水の確保は、単にその需給関係のみならず、環境美化保全の面からも重大な問題です。
 福知山RCと綾部RCとの由良川を護る運動、京都東ローターアクト・クラブの加茂川の清掃運動、滋賀県下のRCの琵琶湖清掃協力など僅かにありますが、これに留まらず、全クラブ会員が、職業奉仕や社会奉仕の面から、奉仕の一大目標として具体的に取り上げる意味を、公式訪問その他の機会ある毎に強調して来ました。

 ガバナーのプロフーィル 
誠実にして気魂の人
山口善造

 長身をやや前屈みにして静かに黙々と、瞑想に耽るが如き姿で歩を運ぶ老紳士、哲人的な匂がするのが、野崎さんである。昭和27年食料庁退官後、滋賀県副知事に迎えられ、よき女房役を果たされた後は、会社、団体、行政審議会等の役員や顧問等に任じつつ現在に至る。
 いずれにしても輝かしい経歴の持主であるが、野崎さんという人は人の上に立つ人として出来上がっている。そして立たれたその地位を立派に活かして見事に仕事を仕上げて来られた。このたびのガバナーの仕事もきっと有終の美を飾られることを信じて疑わない。大阪食糧事務所時代の、ジェーン台風の時、政府保管の食料約13トンの緊急放出処置、副知事時代の町村合併の推進への努力など卓越した行政手腕を発揮され、かつその実を挙げられたことを想起して、今更ながら一本通った筋金の太さを痛感する。
 その長年の貴重な経験を活かして、ロータリー精神をよく咀嚼して、独自のガバナーの味を樹立せんとする気構えに烈々たる気迫が感じられて嬉しい限りである。健康に留意され、無事大任を果たされることを切に祈る。