1987-'88 Rotarian - United in Service - Dedicated to Peace
地区ガバナー 
小谷隆一
President ROTARY INTERNATIONAL Charles C. Keller


 “ロータリアン――奉仕に結束 平和に献身”
 会長・幹事のみなさん、いよいよ新しい年度1987-'88年が始まりました。輝かしい抱負にみちたスタートをきられたことと拝察しお喜び申し上げます。
 今年度のケラーRI会長のテーマは「ロータリアン――奉仕に結束 平和に献身」であります。私は地区ガバナーとして「魅力あるロータリーづくりを――自己にとっても、家庭・事務所・地域社会・国家・世界にとっても」ととなえ、さらに「心でむすぶ世界の輪――平和と繁栄をもとめて」という方針をうちだしました。会長・幹事長のみなさん、いよいよあなたの年度です。二度とない貴重なチャンスであります。どうかこの1年間はすばらしいクラブの運営を展開してください。

 ポリオ・プラス・キャンペーン
 私ども1987-'88年度のガバナーは、ポリオガバナーと呼ばれている。また自らもそのように呼ぶことを誇りに思っている。
 ポリオ・キャンペーンは1985年から始まった。「ロータリーは1985年、その創立100周年に当たる2005年までに全世界よりポリオの被害者をなくすように、それに必要なワクチンの購入費用1億2000万ドルを募金しようと全世界のロータリアンに呼びかけた。」<『ロータリーの友』Vol.35 No.7>
 日本ポリオ・プラス委員会は全世界の目標額の約20%強にあたる40億円を日本全国のクラブによって據金することに決定した。これがポリオ2005年と呼ばれる計画の始まりであった。
 そして、1986-'87年度から日本国内で大口寄付を集めようとしたが、予想通り進捗しなかったために、翌年からの一般寄付に圧力がかかってきたのである。
 1987年の3月、ナッシュビルの国際協議会で研修をうけていた2日目のことだった。夕食後に非常召集をかけられた私たちがガバナーノミニーに、山田国際コーディネーターからポリオの恐ろしさが強烈に語られた。そしてこのポリオを撲滅するために1人当たり2万円を下らない寄付を集めてほしい、とつよい要請があった。毎年4,000円づつ5年間に分割してもよい、ということだったが、28名の同期のノミニーはいっせいに頭をかかえた。
 それらしいことはおぼろげに聞いてはいたが、現実の基金となるとたいへんである。一晩も二晩も深夜に及ぶ討論をかさね、ようやく全員の同意を得ることができた。
 私たちを感動させたのは、長時間にわたる夜間の会合において全身全霊をうちこんで訴えられる山田コーディネーターの説得力のこもった情熱であった。ポリオ・キャンペーンの初期において果たされた山田氏の功績は特筆すべきであり、長くその功をたたえなければならないと思う。
 私どもは本番のガバナーとして仕事を始めるまで3カ月しかない。1人2万円、決して容易な金高ではない。どのようにして集めるか正に頭の痛い問題であった。
 まず地区内にポリオ・プラス委員会をもうけ、福知山RCの古川太一氏を委員長に委嘱した。古川委員長はかつて実際にポリオ患者に接した経験があり、その悲惨な状況を熟知しておられただけに、活発な活動を展開していただいた。そのご尽力に対し厚く感謝したい。
 7月初めから始まった公式訪問では、相当な時間をさいて募金を懇願したことは言うまでもない。ロータリーはそのような高額のお金を集めるところではない、マルティプル・ポール・ハリスといったバッジで寄付をつのるような行為は面白くない、などという言葉を述べられて反対されるロータリアンも何人かおられた。
 しかし大半のロータリアンはポリオの恐ろしさを理解し募金に協力的であった。私は大正時代の関東大震災の際の救援金や、戦後国民が飢餓の危機に瀕している際に送られてきたララ物資の話をして、今その思いをかえすべき時であると訴えた。
 嬉しかったのは、いち早く園部RCが募金に応じてくれたことである。全会員が協力し地区内で常に最高位の達成率を保ち、最終目標額の2.6倍の数字を完遂してもらった。京都市内でも洛西、洛南クラブはそれぞれ2倍、1倍半の目標を達成された。これらのRCに対して感謝状をお贈りしたが、年度末でその数は39クラブにも及んだ。
 日本全体においても265地区はいつも最高位にあり、競争相手は第255地区であって、親しくしている板橋敏雄君がガバナーなのでお互いに競争心をあふっていた。各ロータリアンの暖かい支援によって私の任期の終る1988年6月末では2億円をこえる寄付金が集められた。最終目標の72%の額を5年を経ないでクリアしたのである。そして次の細田ガバナーのご努力で予定の満額が達成された。
 最終的には1991年7月で265地区は24,252万円という巨額の寄付を達成し、275地区についで第2位の成績だった。
 こうして集められた募金は、日本国内においては、目標額の40億円をはるかに突破する484,500万円となり、1991年6月末をもって終了した。また、12,000万ドルを目標にした全世界の募金も現在では24,800万ドルにも達している。
 所期の目標を大きく上回ってキャンペーンは終了したが、ワクチン接種活動はこれからが正念場とされている。
 西暦2000年までに地球上から撲滅し、2005年にはその事実を明らかにする、というRIの方針が着々と進められているが、そのキャンペーンの発足当初にガバナーとしての仕事に励んだことを思い起こすと、実に感慨ぶかいものがある。

 GSEの激励
 私はRIがきめた相手地区を知って愕然とした。相手が第501地区アラスカだったのである。
 私は経済人であるので、このような研修は生産手段か経営技術を学ぶものだ、という先入観があったためだ。アラスカでは氷の山と鮭があるだけでは、といった失望感があった。
 しかしその私を元気づけてくれたのは地区の牧直次研究グループ委員長だった。アラスカでも勉強するものがあるはずです、と早速団員募集を開始された。
 幸いにして優秀な団員5名が選定され、準備の会合が重ねられたが、牧委員長ならではの熱のこもった価値ある勉強会だった。しかし出発直前になって体調をくずされ、急遽福井南RCの前島健治氏が多忙中にもかかわらず団長を引き受け5月に日本を出発することができた。
 私はできればどこかで研修中にこのチームを激励したい、と考えていたが、ちょうどフィラデルフィアでRIの国際大会があり、その直後の機会をとらえることにした。
 団長以下6名の乗る飛行機にこちらもアンカレッジから乗ることができた。何の前ぶれもなしに彼等の飛行機に私が現われたものだからその驚きはたいへん。氷雪の美しく輝くマッキンレイの嶺を真近に眺めながら彼等の経験談を聞くのは楽しいものだった。
 わずか2週間余りしかたっていないが、5人の若者は一段と成長し、日常の生活をのびのびと楽しんでいるように思えた。そしてGSEの意義の深さを再認識したのだった。
 私のガバナー年度から外れるが、外国でGSEのチームを激励したことがもう一度ある。それは翌々年の9月のことだった。前回健康のために中止された牧直次委員長が病も癒えて、デンマークへ団長として出向かれることになった。
 たまたまチームが訪問するグレナという町に、私と同期のガバナーであるハンス・ソオルドラップ・パストガバナーが住んでおり、前もって便りで知らせると歓迎したいという。約束通り飛行場でハンス夫妻が出迎えてくれ市庁舎へ直行してもらった。そこでは6名の団員が市長と英語で懇談していたが、その姿をみて、GSEは価値ある行事であるとしみじみと嬉しさを感じた。

 地区大会について
 私どもの年度の地区大会は4月16、17日両日にわたって国立京都国際会館で開催された。
 折りしも桜花爛漫と咲きほこり、快晴にめぐまれたすばらしい大会であった。
 ホストは創立15年目にあたる伏見RCで、布施宗吉郎実行委員長のもとで全員が一致協力、すばらしい結実をみせ、見事に大会を成功させた。特に布施委員長は体調が良くないにもかかわらず、最終日まで重責を果たされたが、激務が差し障ったのか1カ月後に卒然として亡くなられた。心から感謝と哀悼の意をささげたい。
 会長代理として出席されたのは東京RCの黒沢張三氏であった。昭和10年にお父様と共に京都での大会に出席されたという古い経歴の持ち主であるだけに、ロータリーの真髄を身をもって教えられる方であった。

ガバナーのプロフィール
すばらしい人柄 奉仕の人
千 宗室

 数多いロータリアンのなかからガバナーを引き受けていただく方はごく限られてしまう。それはガバナーが名誉職ではなく激職であり、また終生ロータリーの世話役として奉仕に徹しなければならないからである。
 小谷隆一君は忙しいどころではなく、超がつくがあえてお願いしたのは、最も適した方と思ったからである。私との出会いは昭和26年の春であり、かれこれ40年のおつき合いである。彼は私のこと、彼のことは私が、と何でも知り合っている信頼しあう仲間であり、ガバナーをお願いしたときに「おまかせします」と私にすべてを預けてくださった。有難いことである。
 昭和39年には日本青年会議所会頭に、44年には経済同友会の代表幹事として、京都商工会議所副会頭に就任、51年まで激務をよくこなされた実行力のある人で、、彼の人柄を褒める人が多いのは、人のお世話をよくされるからである。
 ロータリー歴も25年で、昭和50年私のガバナー就任とともに地区幹事長を引き受け、表裏一体となって奉仕をしてくださり、、54年には会長として高い内容の充実と地域社会の奉仕という指導を見事にやりとげられた。
 賢夫人と2人のご子息そしてお嬢さんという恵まれた環境にあり、お仕事も順調に発展しているから、最高のリーダーとしてご活躍いただけると期待している。