1996-'97 Bild the Future with Action and Vision
地区ガバナー 
足高 晋・中野重宏
President ROTARY INTERNATIONAL Luis Vincente Giay


 “築け未来を−―行動力と先見の眼で”
 1996-'97年度RI会長ジアイ氏は新しい世紀を目前にして「新しい世代のためのより良い未来」を築くために、ロータリーの世界的組織は効率的であり、そのプログラムは人類の基本的ニーズに取り組むものであり、奉仕への献身に基づいて行動すれば私達ロータリアンは将に未来の建設者たりうると説く。
 先見の眼があれば、地平線のかなたの人類のニーズまで見えてくる。未来は遠くにあり出合うのを待っているのではなく、未来は今ここで作られるのを待っているのだ。

 年間基本方針
 A)1996年7月1日-'97年1月28日      足高 晋ガバナー
 足高 晋ガバナーは独自のテーマを説けずジアイ会長のテーマを忠実に展開実行することが任務であると言明され、公式訪問はじめ各種会合に出席して、工夫と熱意でリーダーシップを発揮して、第2650地区の隅々まで、RI会長のテーマを地区の全ロータリアンに正しく伝え、理解を深めるよう積極的活動を行った。
 足高ガバナーはRIジアイ会長の強調した「ガバナー・プラス」を重要視され、自分自身に対し厳しい課題を課され、奉仕の灯火が一段と大きく炎が燃え上がり、引き継げるよう懸命に頑張られたが、遂に病に倒れ、思いも半ばにして逝去された。
 B)1997年1月29日-6月30日         中野重宏ガバナー
 後を継いだ中野重宏ガバナーは残された5カ月間、第2650地区の伝統と業績を更に飛躍させることが、御霊に応える私の責務であると強く認識され、残された行事を再認識して、手際良く対処され、7月1日に無事山田ガバナーに引き継がれた。
 ネパールのポリオ・プラス・ミッションの団長として、現地で足高ガバナーの訃報に接するや、この事業完逐が足高ガバナーへの最大の供養になると鼓舞激励され、任務を果たされた。

 年間重点事項
 その1)先達の歩みに敬意を払い未来を築こう
 ポール・ハリス没後50周年、加えてロータリーの創立100周年も間近に控え、未来のロータリーを築くためのスタートの年、転換の年である。足高ガバナーは、このような節目にこそ、先達の偉業を偲び共に将来へのビジョンを建て、アクションを起こせと活動を展開していった。
 その2)会員増強で未来を築こう
 日本経済は不況に突入し、景気が停滞して不況の兆しが見え始め、どのクラブにおいても退会者が続出していた。こうした状況の中で「我々は今、先輩ロータリアンの築かれた大いなる遺産を、更に大きく発展させねばならない。そのためには1人でも多くの仲間へロータリーを理解させ、奉仕活動を共にするよう、働きかけなければならない。そして組織を生き生きとさせるためには、常に新しい血の導入(増強)が必要であり、細胞と同じように分裂(拡大)が必要である」との強い信念をもって敢然と会員増強や拡大の必要性を訴えられた。
 その3)職業奉仕の質を高めることによって未来を築こう
 職業奉仕の質を高めるということは、まず職業奉仕自体を理解しなくてはならず、そのためには勉強し、教育に力を入れてゆかねばならない。またそれは会員増強にもつながる。ロータリアンは自分の仕事を愛し誠実な仕事を称揚し感謝し、事業や専門職務の質を高めるための努力を行うべきである。自分の事業が前進することが職業奉仕の神髄ではないかと問いかけた。
 その4)次の世代を準備することによって未来を築こう
 次の世代への課題は、ジアイ会長の第1重点事業であり、「次の世代を準備することによって未来を築こう」と青少年の育成に夢を求め9月を「新世代のための月間」と改め、新世代会議を提唱されるなどした。
 足高ガバナーは地区内4人の知事との対談で、次代を担う青少年問題に関するテーマを説明し、もっとロータリーの奉仕の力や知恵を行政側も活用してはどうかと提案された。
 その5)平和な都市づくりに未来をかんがえよう
 ジアイ会長は都市問題を究明し、具体的行動を導きだす方針を出された。足高ガバナーの自ら企画した地区内4府県知事の対談では、「ロータリーと地域」についての自らの夢を知事に提唱し、自説の展開に努められた。
 その6)ロータリー財団を支援することによって未来を築こう
 大事業となったポリオ・プラスも、国際親善奨学金制度も、多くはロータリー財団との関わりの中で行われている。米山奨学金制度も日本に留学するアジア各国の学生達を支援し続けているが、米山梅吉氏没後50周年の節目に当たるだけに、過去の歴史から何を学びどのように支援するのか、米山梅吉氏の生家が足高ガバナーと同じ奈良県高取町であることも重なって、米山奨学制度の寄附集めに情熱を注がれた。米山もロータリー財団も委員会を統合し、京都商工会議所に分室を設けた。年度毎に移動するガバナー事務所とは別に、継続して事務処理や連絡ができる、インターネット利用の地区電算基地として予定されている。

 ネパールのポリオ・ワクチン一斉投与について
 足高ガバナーは世界社会奉仕事業(WCS)を、年度の最重要事業と位置づけ、国際奉仕部門にあったポリオ・プラス事業を世界社会奉仕委員会に独立させ、アジアでは最後の一斉投与国であるネパール・プロジェクトを実施された。
 NIDS(一斉投与)は12月6日と1月17日に行われ、ネパールで参加するボランティア85,000人、投与対象の子供330万人。この2日を国家的行事として、全国あげての協力体制がとられて実施された。第2650地区はポリオ・ワクチンの購入資金としてユニセフ経由で10万ドル、前年度分でポスター、ちらし等に2万ドルの支援をし、29名が投与に参加することができた。
 このミッションがカトマンズに到着した翌朝、足高ガバナーの訃報が届いた。ネパールでのポリオ・ワクチン一斉投与が、足高ガバナー年度最大の事業の1つである以上、完全に遂行することがミッションの責務であると中野PGと全員の協議で確認し、足高ガバナーの写真を掲げつつ、投与作業を実施した。
 また最後の奉仕地、釈迦生誕のルンビニ園のネパール寺で団員として参加していた当麻寺中之坊住職松村実秀師を導師として第2650地区物故ロータリアンの慰霊法要に、故足高ガバナーの遺影と法名を飾り全員で法要を行った。

 三国沖重油流出事故災害義援金について
 ロシア・タンカー「ナホトカ号」の沈没事故による重油流出が日本海沿岸各地に漂着し、漁業や環境に大きな被害を与えた。特に当地区の三国町安島海岸に船首部分が座礁し、海岸一帯真黒な重油が漂い、付近は悪臭で大変な状況となり、全国から善意のボランティア活動や救援物資・義援金なども多く寄せられる中、我が地区ロータリアンや各RCもそれぞれの地域社会において全力をあげての奉仕活動を続けられた。
 地区内は勿論、地区外のRCやロータリアンから続々と当地区ガバナー事務所へ義援金が届き、ガバナー会でも当地区が全国ロータリーの統一窓口として取りまとめ、しかるべき先へ義援金を配分することになった。また当地区としても1口2,000円の義援金を全会員から集めて協力した。

 GSEについて
 交換相手地区第9710地区(オーストラリア首都キャンベラ地区)ガバナーのジョン・ラウテット氏がキャンベラ市と奈良市が姉妹都市を締結した際来日され、当地区のGSE交換を強く要望され、足高ガバナーとの話し合いで実現することになった。
 受け入れは、デビット・グラハム団長が3月14日に到着し、中野ガバナーはじめ関係者に歓迎された。
 日本からの派遣GSEも、現地での生活になれ、語学や豪州での研修テーマを十分にこなして、皆元気で帰国した。

 足高 晋ガバナーの逝去について
 7月のガバナー就任以降、10月20日までの111日間に公式訪問61クラブ、公式会合の外、打ち合わせの報告書作成など、執務に没頭されていただけに、7、8月の猛暑の過労も伴って、病状が悪化した。
 遂にスタッフが、これ以上は無理と判断して、千宗室元RI理事に相談し、11月以降の公式訪問とアクティング・ガバナーの件をお願いしたところ、RIと折衝され12月14日の諮問委員会で11月以降の公式訪問には、各府県出身のPGが代行する。またアクティング・ガバナーには奈良RCの中野重宏PGを指名してくださった。
 1月16日、足高ガバナーは地区委員全員の祈りもむなしく逝去された。1月28日にロータリアンや地元の各界の代表はじめ総勢2,000名余りの参列のもと、千宗室家元「供茶の儀」に続いて杉山PGの弔辞等各名士の弔辞が続き、しめやかな中にも清楚な雰囲気が漂う、厳粛な葬儀が執り行われた。

ガバナーのプロフィール
2人のガバナー
廣橋 平司

 A)足立 晋ガバナー                       
 足高氏は大和高田RC創立時(1961年3月)の初代幹事を務めたチャーターメンバーであり、ロータリーには大変造形の深い人であります。また地域振興の熱意強く、長年にわたり地方行政の長として町民の絶大な信頼を得られ、地区ガバナーとして異色の存在でありました。
 足高ガバナーは公式訪問をするとき、全クラブにレンガの貯金箱を持参し、大きな身体にレンガ色のジャケットを着て、RIのテーマ「築け未来を――行動力と先見の眼で」を強調され、「ロータリアン一人ひとりが地域のレンガになって、ロータリーの理想を建設する様に」と熱っぽく話された姿が今も目に浮かびます。
 10月の入院後も一向に良くならず、遂に1月16日帰らぬ人となられ、ガバナーにはさぞかし心残りであったと思いますが、どうぞ安らかにお眠り下さい。
 B)中野 重宏ガバナー
 12月14日の諮問委員会で中野氏がアクティング・ガバナーに指名されました。
 WCSのネパール・ミッションには、団長として出発され、カトマンズに着いた日に、足高ガバナーの訃報が入り、ご心痛の中にも事業を完遂、責任を果たされました。
 1月29日にガバナーに就任されるや、日本海重油流出事故災害の義援金等について奔走され、多大な成果を収められました。
 中野ガバナーにとって、半年余りとは言え、再度ガバナーに就任するとは、全く降ってわいた様な出来事であり、誠にお気の毒というより他ないが、あの過密なスケジュールの重責を無事果たされたのは、中野ガバナーが、強い信念と優しい思いやりの心を備えた、ロータリアンの超我の奉仕をお示しになったと言わなければなりません。